開発されたという

ゃぬのね

2014年07月08日 16:42



道を歩いていると自分に声を掛けられたのかと、反射的に振り向いたことが何度となくあった。
携帯電話が普及し始めた頃だ。耳障りだった声も、一昔前のようで気に留めることもない。
ノートパソコンを鞄に入れ持ち歩けば電車、喫茶店、公園のベンチが即座に会社にもなる。片手に納まるスマートフォンの出現でより小型化され、片時も側を離れられない恋人以上の存在になった人も多い。
この虜になると場所をわきまえず画面を追う。
果てはパソコンと心中する人が世界に急増中とか……。
1歳の孫が親の真似をしてスマホの画面に指を滑らせ、画面を大きくする仕草をやってのける。知人の4歳の息子が父親とのおしゃべりで自分に合点がいかないと、スマホを手に父親にパソコンで検索しろと差し出すと言って私を笑わせる。
いつの時代も人類は大きな文明、文化のうねりの中で、その時々の出合いに驚嘆し、受け入れそれに順応して命を今につなげてきた。
20世紀後半に発明されたパソコンはアメリカの軍事機関のために開発されたという。発展小型化し世界中の人々が瞬時にして情報を共有出来る時代を作り上げた。
「子どもだって世界を変えられる」というTV番組を見た。
10歳にも満たない子どもが親友を病気から救いたい一心で絵本を書いた。その子の親はやさしい心に感動し、バザーで自費出版の絵本を販売する。多くの人々がネット上でつながり本を買う。小さな子どもの行動が研究機関に多額の寄付をする。
またピンクのTシャツを着て登校した華奢な男子がいじめに合った。同じ経験をした級友がパソコンを通して生徒に呼びかける。次の日、ピンク色のシャツをきた子どもがぞくぞくと登校して小さな力がいじめっ子より大きな力となったなど。
笑顔の向こうに、武力につながる情報が影を潜めて大きな触手で世界を包囲しているのも現実である。

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