声を張り上げてガ
私が子供の頃、さだまさしという歌手が「生々流転」という曲を歌ってました。
何の意味やろと思って辞書を引いたら、「すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと」。
いい言葉だな、と思いました。
また、中学の国語の授業で、「平家物語」の冒頭部を丸ごと暗記! という課題を出され、今も自分の標語にしてるのですが、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
これこそ永遠の真理だと思います。
形あるもの、たとえ、主義、信条であっても、この世のことは次第に移り変わっていく。
アップダウン、アップダウンを繰り返しながら、最終的には辻褄の合うものだと思っています。
私も、一流会社の社長さんの死に際とか、普通のおっちゃんの死に際とか、やくざの親分の死に際とか、いろいろ見てきましたけど、棺桶に入ったら、みな一緒ですからね。
あの姿を見たら、「ああでなければならない」「こうでなければ幸せとはいえない」とか、ガチガチに凝り固まるのがいかに生き辛いか、つくづく思い知らされます。
ゆえに、20代そこらで、「結婚とはー、生き甲斐とはー」って、声を張り上げてガチガチに凝り固まってる姿を見てると勿体ないな、と思うし。
まだ結婚もしてないのに、「結婚したら、ああなる、どうなる」と、どっかの婦人評論家みたいに空論を振りかざしても、何の説得力もない。
もっと柔軟に、フランクに、「いざとなったら、身を粉にして働けばいい」「猿岩石みたいに、シベリア大陸を歩いて横断して日本まで帰ればいい」(幼いマルコもアルゼンチンまで一人でお母さんを訪ねていったことだし)とか、現実にそうできなくても、それぐらいの気持ちでおれば、たいがいのことは克服できるものだと思います。
だから「結婚したら自由がなくなるー」とか声高々に叫ばなくても、頭の中で「結婚」を意識してたら、あるいは他人の言動にピクピク反応してるなら、それはもう立派に「結婚という概念に縛られている」といっていい。
そんな状態で独身生活を謳歌しても、結局、結婚というものに囚われ、縛られしていることに変わりはないです。
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