2017年08月08日
走過書店
記得小時候,從同學那裏借到一本小人書或者一些讀物就如獲至寶。但那個時候,還在上小學,父親嚴加管教,一直不讓我們姐弟看課本以外的書籍。所以,院外的草垛一直就是我藏書、讀書的好去處。那時,識字並不多,記憶裏的故事會、連環畫、經典名著也就有些囫圇吞棗了,不過,故事的情節抑或跌宕起伏,抑或平淡無奇都會深深印進我的腦海,那個時候,渴望攢錢買一本好書就成了我的一種奢望了。為了攢錢,在農忙的時候,父親為了調動我們參與給玉米脫殼的積極性,每天晚上都會根據筐數付給我們幾角零用錢,那時,我就狠下心要攢錢買一本書,但是,對於從來涉足過縣城的我來說就是攢夠了錢,又怎能如願購得一本書呢?
上了中學,終於從生活費裏摳出了一點錢,去得書店買書。不過,那時,醜小鴨、拇指姑娘已經離我很遠了,我倒是偏愛校園詩歌、散文了。充滿激情狂想的詩句和優美的散句吸引了我的目光,讀了一遍還要重讀幾次,臆想著美句勾勒的情境,想著奔了去,融入去。但是,不管咋說,那書還是父親那關的禁書,我買了去,萬萬不敢堂而皇之讓它登堂入室的,只能偷著背回家藏在閣樓堆放玉米秸、柴禾的旮旯,那時一有時間就爬上閣樓捧讀起來,一有聲響就急急藏起來,也就是那個時候,竟在惶遽裏養成了一目十行的速讀法,也為後來讀書不租書打下了基礎。
上師範時,有了空閒讀書,室友中一人也喜好。她常常租書來讀,一下就兩三本,所以,在她讀的餘暇,我盡可以從她那裏借來一覽。那時,瓊瑤、席絹的言情小說幾乎佔據了讀書的三分之一時光。理想、浪漫的愛情情懷蘊育在年輕懵懂的心裏。
之後,有了時間有了金錢 可以盡情買書、讀書,《讀者》、《文摘》、《婚姻與家庭》等雜誌厚厚一疊,常常反復翻閱,仿佛在書中找到了人生的支點。那時純情的青春甜潤著。
後來,去書店的時間就很少了,閒暇那些被束之高閣的舊書成了打發時光的藉口。倒是我那兒子隔三差五就往書店跑,他不再為買書需要付出勞動而擔心著。
常常閑下來的時候,翻著卷了角的舊書,想著少時讀書的情境,訝然間,不覺春秋的刻痕在額角重重留下影子。每個早晨上班都要路過一家書店,總會不經意想起那擱置了許久的讀書願望。一切都會改變,當時光的流逝著實不能挽留一切的時候,只能為不能光顧書店找到家務繁雜一類的理由。在以後的日子裏,現代網路裏千奇百怪的電子書就成了閒暇時打發日子最好的消遣。不過,電腦所反射的強光常常讓眼睛受不了。於是,我就想著等我老了的時候,還是拋去喧囂裏去書店尋得一片安靜之所,再續捧讀的前緣,那也許是垂暮時光裏最好的一隅了。
走過書店,想著前塵往事,糾結於現實的奔忙或荒唐。我的小輩們是否也會在普及的網路世界裏真正尋得一場精神文明的奇葩盛宴?
上了中學,終於從生活費裏摳出了一點錢,去得書店買書。不過,那時,醜小鴨、拇指姑娘已經離我很遠了,我倒是偏愛校園詩歌、散文了。充滿激情狂想的詩句和優美的散句吸引了我的目光,讀了一遍還要重讀幾次,臆想著美句勾勒的情境,想著奔了去,融入去。但是,不管咋說,那書還是父親那關的禁書,我買了去,萬萬不敢堂而皇之讓它登堂入室的,只能偷著背回家藏在閣樓堆放玉米秸、柴禾的旮旯,那時一有時間就爬上閣樓捧讀起來,一有聲響就急急藏起來,也就是那個時候,竟在惶遽裏養成了一目十行的速讀法,也為後來讀書不租書打下了基礎。
上師範時,有了空閒讀書,室友中一人也喜好。她常常租書來讀,一下就兩三本,所以,在她讀的餘暇,我盡可以從她那裏借來一覽。那時,瓊瑤、席絹的言情小說幾乎佔據了讀書的三分之一時光。理想、浪漫的愛情情懷蘊育在年輕懵懂的心裏。
之後,有了時間有了金錢 可以盡情買書、讀書,《讀者》、《文摘》、《婚姻與家庭》等雜誌厚厚一疊,常常反復翻閱,仿佛在書中找到了人生的支點。那時純情的青春甜潤著。
後來,去書店的時間就很少了,閒暇那些被束之高閣的舊書成了打發時光的藉口。倒是我那兒子隔三差五就往書店跑,他不再為買書需要付出勞動而擔心著。
常常閑下來的時候,翻著卷了角的舊書,想著少時讀書的情境,訝然間,不覺春秋的刻痕在額角重重留下影子。每個早晨上班都要路過一家書店,總會不經意想起那擱置了許久的讀書願望。一切都會改變,當時光的流逝著實不能挽留一切的時候,只能為不能光顧書店找到家務繁雜一類的理由。在以後的日子裏,現代網路裏千奇百怪的電子書就成了閒暇時打發日子最好的消遣。不過,電腦所反射的強光常常讓眼睛受不了。於是,我就想著等我老了的時候,還是拋去喧囂裏去書店尋得一片安靜之所,再續捧讀的前緣,那也許是垂暮時光裏最好的一隅了。
走過書店,想著前塵往事,糾結於現實的奔忙或荒唐。我的小輩們是否也會在普及的網路世界裏真正尋得一場精神文明的奇葩盛宴?
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17:22
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2017年07月27日
跌落在塵埃裏的雪
“夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。”——《大人先生傳》
“夫清虛寥廓,則神物來集;飄遙恍惚,則洞幽貫冥;冰心玉質,則激潔思存;恬淡無欲,則泰志適情。”——《清思賦》
生於仕宦,兼曉文理;疏狂放逸,輒嗤凡禮;
何可應以,舉遵避趨;撫琴獨吟,空思玄寂。
試問諸君,悠悠蒼天,此何人哉?
阮郎也!
阮籍以“竹林七賢”中一君,尚老莊之學。故其為文也,多清奇峭拔,丰姿雋秀,筆鋒遒勁,或幕遁匿或有抑鬱悲憤之歎。用詞工而不矯,激越而不激進,樸質而不虛浮,可謂“天然去雕飾”。縱才高若司馬相如,豈敢望其向背耶?
當然,透過一個人的文章,是可以看出其品格的。人品與文品不一定完全相同,但總也脫不了干係的。人們所說的“相由心生”中的“想”並不一定指一個人長得有多帥、多俊朗,不同於現在流行的“顏值”。更多的,講究的是氣質。而且“氣”與“韻”往往是相輔相成的。阮籍之“氣”,是一腔浩然正氣,“韻”既有生活情趣,也有傲岸不屈的風骨。就比如神凝氣定於黑白縱橫之處,步步進發,直搗黃龍,意趣盎然。忽有人報母喪,他端如磐石,似乎不為所動。勝負既定,嘔血如注。情重自明,何須聲張?嵇喜前來弔喪,號哭動地。他滿臉不屑,兩眼一翻,全是白,卻垂青於引琴攜酒的嵇康。這也讓人聯想起王子猷的“雪夜訪戴”,不習禮教、閒散疏逸的特性,也是能引發群體共鳴的。
然而,阮籍終究是一介文人,相較於風聲鶴唳、血濺刀飲的嚴酷政治場上而言,他也只能做“白面書生”。對於有“潔癖”的阮籍而言,他界限分明,眼裏揉不得沙子,決不去蹚泥河。總是恪守“中庸之道”,幻想以不偏不倚的方式保全身家性命,避免捲入奸邪小人惡鬥的漩渦之中,這也不失為一種明智的做法。
不過,他才智過絕,想要躲開不幹不淨的東西,可能性寥寥。曹魏與司馬氏對峙,魏家日薄西山,而司馬氏權焰囂張。面對晉文王綿裏藏針的笑,他心領神會,卻也只好不疼不癢地寫下“詞甚清壯”的《勸進書》。於是,他不可避免地成了傀儡,被人玩弄與操縱:成了司馬氏為謀權篡位掃清言路障礙的工具。最可悲的是,司馬昭對他的精神施了暴,靈魂已不再屬於自己。心境澄瑩、質潔如雪的阮郎終是墮入了世俗的塵埃中,孤獨與悲涼,激憤與無奈交織著,糾纏著,一代樸實的、清白的大才子終是承受不了熾熱的凡塵濁世,在一個月色慘澹的雪夜靜悄悄地熔化了、衰亡了、絕跡了、遁去了……永久地遁去了……他的魂靈是飄蕩著的孤魂野鬼,何處存放,何處停泊,不得而知。也許,他依然在那片幽幽的篁竹林裏,彈琴長嘯,狂歌亂舞,獨守著屬於自己的那份清寂……
徘徊將何見,憂思獨傷心。(《詠懷》)
因作《傷阮郎》,銘曰:
奚用蘭芷,清韻無飾。蘆裾一舞,足當萬矢。
殘雪溶竹,瑟瑟其冠。兔起鶻落,索筆強歡。
高臺指飛,如采胡荽。霽月摶景,霜風開晦。
斧質縱固,浮雲隨土。孤鴻無跡,飛雪何蹤?
“夫清虛寥廓,則神物來集;飄遙恍惚,則洞幽貫冥;冰心玉質,則激潔思存;恬淡無欲,則泰志適情。”——《清思賦》
生於仕宦,兼曉文理;疏狂放逸,輒嗤凡禮;
何可應以,舉遵避趨;撫琴獨吟,空思玄寂。
試問諸君,悠悠蒼天,此何人哉?
阮郎也!
阮籍以“竹林七賢”中一君,尚老莊之學。故其為文也,多清奇峭拔,丰姿雋秀,筆鋒遒勁,或幕遁匿或有抑鬱悲憤之歎。用詞工而不矯,激越而不激進,樸質而不虛浮,可謂“天然去雕飾”。縱才高若司馬相如,豈敢望其向背耶?
當然,透過一個人的文章,是可以看出其品格的。人品與文品不一定完全相同,但總也脫不了干係的。人們所說的“相由心生”中的“想”並不一定指一個人長得有多帥、多俊朗,不同於現在流行的“顏值”。更多的,講究的是氣質。而且“氣”與“韻”往往是相輔相成的。阮籍之“氣”,是一腔浩然正氣,“韻”既有生活情趣,也有傲岸不屈的風骨。就比如神凝氣定於黑白縱橫之處,步步進發,直搗黃龍,意趣盎然。忽有人報母喪,他端如磐石,似乎不為所動。勝負既定,嘔血如注。情重自明,何須聲張?嵇喜前來弔喪,號哭動地。他滿臉不屑,兩眼一翻,全是白,卻垂青於引琴攜酒的嵇康。這也讓人聯想起王子猷的“雪夜訪戴”,不習禮教、閒散疏逸的特性,也是能引發群體共鳴的。
然而,阮籍終究是一介文人,相較於風聲鶴唳、血濺刀飲的嚴酷政治場上而言,他也只能做“白面書生”。對於有“潔癖”的阮籍而言,他界限分明,眼裏揉不得沙子,決不去蹚泥河。總是恪守“中庸之道”,幻想以不偏不倚的方式保全身家性命,避免捲入奸邪小人惡鬥的漩渦之中,這也不失為一種明智的做法。
不過,他才智過絕,想要躲開不幹不淨的東西,可能性寥寥。曹魏與司馬氏對峙,魏家日薄西山,而司馬氏權焰囂張。面對晉文王綿裏藏針的笑,他心領神會,卻也只好不疼不癢地寫下“詞甚清壯”的《勸進書》。於是,他不可避免地成了傀儡,被人玩弄與操縱:成了司馬氏為謀權篡位掃清言路障礙的工具。最可悲的是,司馬昭對他的精神施了暴,靈魂已不再屬於自己。心境澄瑩、質潔如雪的阮郎終是墮入了世俗的塵埃中,孤獨與悲涼,激憤與無奈交織著,糾纏著,一代樸實的、清白的大才子終是承受不了熾熱的凡塵濁世,在一個月色慘澹的雪夜靜悄悄地熔化了、衰亡了、絕跡了、遁去了……永久地遁去了……他的魂靈是飄蕩著的孤魂野鬼,何處存放,何處停泊,不得而知。也許,他依然在那片幽幽的篁竹林裏,彈琴長嘯,狂歌亂舞,獨守著屬於自己的那份清寂……
徘徊將何見,憂思獨傷心。(《詠懷》)
因作《傷阮郎》,銘曰:
奚用蘭芷,清韻無飾。蘆裾一舞,足當萬矢。
殘雪溶竹,瑟瑟其冠。兔起鶻落,索筆強歡。
高臺指飛,如采胡荽。霽月摶景,霜風開晦。
斧質縱固,浮雲隨土。孤鴻無跡,飛雪何蹤?
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17:53
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2017年07月20日
ボディーガードがたとえ銃声で
キ長官の命は救えない。
ただ、弾の軌跡からチェ・ヨンの位置を知られるのが
何秒かは早くなるだろう。
― 逃げればいいだけだ。
かけっこは子供の時から得意だった。
しかし、静かな夜に響いた乾いた銃声は
ソウルの街並みに不似合いな程大きく鳴ったが
眠らない都会の喧噪は、
そんな音などこともなげに飲み込んでしまって
誰も注意を向けなかった。
それに、銃声の直後に
分厚い防風ガラスの砕ける無機質な音がして、
インペリアルスイートの中の注意はそちらに向けられた。
強化ガラスの窓に空いた小さな穴を通った銃弾が
キ長官の側頭部に到達したことを確認したチェ・ヨンは、
その首が人形の首のようにカックリと折れて
前に傾く前に、もう走り出していた。
細いスリット状のカーテンの隙間のつくる画面の中で
騒然とするボディーガードたちの姿や
丁度部屋に入ったアン・ソンオが
連れを押しのけるようにして逃げていく様子が
スローモーションのように流れていった。
しかし、チェ・ヨンは
頭上で躍り出した自分を探す為の懐中電灯の灯りを
巧みに避けながら地上まで一気に駆け下りると
路地裏に覆いをかけて隠しておいた250ccのバイクに向かった。
そして、チェ・ヨンが黒いヒョースンにまたがった時には
非常階段はまた元の暗闇に戻っていた。
諦めが早すぎるようにも思えたが、
きっと懐中電灯の主も
庇護者の死んだ後の自分の安全の確保が大事だと気付いたのだろう。
― 小賢しい猫のように…
法定速度を守りながら走るチェ・ヨンのバイクを
アン・ソンオの乗ったベンツがものすごい勢いで追い越していった。
― 早く帰って、証拠の山を消さないとな
だが、今頃はもうイ局長がアン・ソンオの
家宅捜査の令状を取っている頃だ。
もしかしたらもう捜査は始まっているのかもしれない。
その全てはチェ・ヨンの手を離れて行われるはずだった。
次の交差点を右折すれば南に向かう国道の入り口になる。
ただ、弾の軌跡からチェ・ヨンの位置を知られるのが
何秒かは早くなるだろう。
― 逃げればいいだけだ。
かけっこは子供の時から得意だった。
しかし、静かな夜に響いた乾いた銃声は
ソウルの街並みに不似合いな程大きく鳴ったが
眠らない都会の喧噪は、
そんな音などこともなげに飲み込んでしまって
誰も注意を向けなかった。
それに、銃声の直後に
分厚い防風ガラスの砕ける無機質な音がして、
インペリアルスイートの中の注意はそちらに向けられた。
強化ガラスの窓に空いた小さな穴を通った銃弾が
キ長官の側頭部に到達したことを確認したチェ・ヨンは、
その首が人形の首のようにカックリと折れて
前に傾く前に、もう走り出していた。
細いスリット状のカーテンの隙間のつくる画面の中で
騒然とするボディーガードたちの姿や
丁度部屋に入ったアン・ソンオが
連れを押しのけるようにして逃げていく様子が
スローモーションのように流れていった。
しかし、チェ・ヨンは
頭上で躍り出した自分を探す為の懐中電灯の灯りを
巧みに避けながら地上まで一気に駆け下りると
路地裏に覆いをかけて隠しておいた250ccのバイクに向かった。
そして、チェ・ヨンが黒いヒョースンにまたがった時には
非常階段はまた元の暗闇に戻っていた。
諦めが早すぎるようにも思えたが、
きっと懐中電灯の主も
庇護者の死んだ後の自分の安全の確保が大事だと気付いたのだろう。
― 小賢しい猫のように…
法定速度を守りながら走るチェ・ヨンのバイクを
アン・ソンオの乗ったベンツがものすごい勢いで追い越していった。
― 早く帰って、証拠の山を消さないとな
だが、今頃はもうイ局長がアン・ソンオの
家宅捜査の令状を取っている頃だ。
もしかしたらもう捜査は始まっているのかもしれない。
その全てはチェ・ヨンの手を離れて行われるはずだった。
次の交差点を右折すれば南に向かう国道の入り口になる。
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19:18
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2017年07月17日
ると最初から書直さなきゃ
絵葉書のようには書かないの?」 と、あなたがちょっと残念そうに言ってくれたので、試しに今日はお手紙のように書いてみますね。
……かな。
今日はピアノの日でした。
ドビュッシーの「ロマンチックなワルツ」に先生から一応のオーケーが出たのでご機嫌でカフェに寄り、ミルクティーを飲みながらこの手紙を書いています。
一曲終わったということは、次の曲に取り組めるということ。わくわくしています。
実はわたし、楽譜がすきです。
うわぁーっと書いてあるオタマジャクシを見るとテンションが上ります。どんな響きだろうって。
先生と一緒に楽譜を見ながら読み解くのも好きです。
まっさらだった楽譜が、注意書きで埋まっていくのも好き。
「楽譜通り」に弾くと言っても、厳密には「楽譜通り」=「その曲」ではないと思うんですよね。ほら、国語のテストの「作者の言いたかったことはなんでしょう」っていう問題と一緒で、本当のところは作曲者にしか分からないはずでしょ?
まあ、本当はそんな難しいことはあまり考えないけど、
とにかく、新しい楽譜を開く時が好き、という話。
……かな。
今日はピアノの日でした。
ドビュッシーの「ロマンチックなワルツ」に先生から一応のオーケーが出たのでご機嫌でカフェに寄り、ミルクティーを飲みながらこの手紙を書いています。
一曲終わったということは、次の曲に取り組めるということ。わくわくしています。
実はわたし、楽譜がすきです。
うわぁーっと書いてあるオタマジャクシを見るとテンションが上ります。どんな響きだろうって。
先生と一緒に楽譜を見ながら読み解くのも好きです。
まっさらだった楽譜が、注意書きで埋まっていくのも好き。
「楽譜通り」に弾くと言っても、厳密には「楽譜通り」=「その曲」ではないと思うんですよね。ほら、国語のテストの「作者の言いたかったことはなんでしょう」っていう問題と一緒で、本当のところは作曲者にしか分からないはずでしょ?
まあ、本当はそんな難しいことはあまり考えないけど、
とにかく、新しい楽譜を開く時が好き、という話。
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16:31
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2016年08月15日
に燃え上がった
僕は、どうもノー天気に育っているのか、天真爛漫を絵にかいたような子供で、中学三年になっても、勉強などはまともにしたことがなかった。僕の馬鹿さ加減を証明するエピソードには事欠かない。
僕が中学三年になると、体調を崩した母が仕事を辞め、家に入った。いままでは野放図なままだったが、これからは母の監視下に入る。
中学三年の二学期の成績は、高校受験の内申書に記載される大事なものだったが、僕はそんなことお構いなしに遊び呆けていた。ある日、僕は母に、呼び止められた。
「お前、毎日、お昼過ぎには帰ってきて遊びに行くけれど、学校はどうしたの」
「うん、心配しなくていいよ。試験なんだ。だから、学校は半日で終わり」
「試験だったら、勉強しなくてはいけないでしょう」
「うん、大丈夫。昨日もう、試験は終わったから」
あまりにも無邪気に僕が答えたものだから、母も二の句が継げず黙ってしまった。母が嘆いたのは言うまでもない。僕の処遇はその夜の家族会議の議題になった。
当時、僕は教師が手をもてあますような劣等生グループの一員だった。その一群には、本当に無邪気に遊び呆けている連中や何かあるとすぐ暴力沙汰を起こす連中が混在していた。僕自身はといえば、学校の成績は日頃の素行が影響してクラスでも真ん中くらいだったが、純粋に学力だけがはかられる全国規模のアチーブメントテストでは、校内で三番ぐらいをらくらく取っていた。担任の先生は、自分の管理の枠からはみ出した生徒として露骨にいやな顔をした。
妙なことに、僕は番長には好かれていて、ときどきガラの悪い生徒に因縁をつけられると、番長がそいつにきっちりと落とし前をつけてくれる仕組みになっていた。それをいいことに僕はますます無邪気を絵に描いたような野放図な少年になっていったのである。
あるとき、あまりにも無自覚に生きている僕に、兄が怒鳴ったことがある。
「お前は、そういう生き方をして、自己嫌悪に陥らないのか」
兄と僕は父が違う。兄は母の苦労と母を困らせる新しい父を見ながら、我が家の辛酸を、少年時代に嘗めつくしているのだ。兄は、毎日、家族への愛憎と自己嫌悪のなかで葛藤しながら生きてきたのだろう。その兄からすれば、僕の極楽トンボ的いい加減さは許せないものがあったのではないか。
ところが、僕は、険悪な場の空気も読めず、
「じこけんおって、なあに」
と聞き返したのだ。その無自覚なところが兄の怒りに輪をかけた。
「お前は自己嫌悪もわからないのか」
そして、滔々と兄に「自己嫌悪」の説明をさせた後に吐いた僕の一言に、兄の怒りはさらに燃え上がった。
「自己嫌悪はたぶんないと思う」
そんな僕が食う飯も忘れて考え悩んだのが、なぜ人は人を愛せないのかという問題だ。
僕は自分が40点の人間だと自覚している。でも自分を愛せるのだ。なぜならば40点の僕をすべて知っているからだ。人が評価しない60点の減点分も、僕の中では正当なものであって、それを理解されない苦しみはあるにしても、僕自身がそういう自分を理解している以上、自己嫌悪に陥るべくもない。その部分を人は知らないから、平気で60点を減点しているだけなのだ。人はそれぞれ、みんなそうではないのか。結局、人を愛せないのは、その人のそういう内なる部分を知らないからなのだ。これが1つめの結論。
2016年03月23日
途端に生々しく
柔らかな春の日差しが障子越しに五三郎と幸に降り注ぐ。その温もりに気が付き五三郎は重い瞼を開けた。外の明るさからすると既に朝五ツは過ぎ、五ツ半に近い刻限だろう。
「・・・・・・寝過ごしたか」
初夜の興奮もあり、昨日はかなり遅くまで起きていた。夜八ツの鐘が遠くから聞こえてくるのは覚えているから、少なくとも寝たのはそれ以後――――――明け方近くの筈だ。幸い出席者の仕事の関係上、五三郎と幸の婚礼は夜に限られているし、稽古へ参加も免除されているから多少の寝坊は全く問題ないが、さすがに気恥ずかしい。
そんな五三郎の気恥ずかしさを知ってか知らずか、彼の横にはまだぐっすりと寝入っている幸がいた。春とはいえまだ肌寒かったのか、一糸まとわぬ姿のまま五三郎にピッタリと寄り添っている。その寝顔はまるで幼い子供のようにあどけない。
「昨日の晩はちょっと無理をさせちまったからな」
すっかり崩れてしまった高島田を撫でながら五三郎は幸の顔を覗き込む。その気配に気がついたのか、幸の瞼がゆっくりと開いた。
「あ・・・・・・兄様?お早うございます」
まだ寝ぼけているのか、幸の口調はろれつが回らず舌足らずだ。そんな幸の鼻先を軽くつまみながら、五三郎は幸に軽く注意を促す。
「兄様、じゃねぇだろ?旦那様はどうした、旦那様は?」
相変わらずの『兄様』呼びに軽く不満を顕にする五三郎に、幸は笑顔で答えた。
「あれ?二人のときは兄様でもいいって言いませんでしたっけ」
クスクスと笑う幸につられ、五三郎も笑みを浮かべながら幸の頬をつつく。
「まったく躾に失敗したぜ。それよりそろそろ起きれるか?流石に腹が減ってきた」
「そうですね。じゃあ兄様、じゃない旦那様は先に食べていてください。私はちょっと髪を整えてからじゃないと」
昨日の情事ですっかり崩れてしまった髪に手を当てつつ、幸は五三郎に頼む。それを見て、五三郎も思わず頷いた。確かにこの崩れ方では客人や門弟どころか使用人の前にも出ることは出来ない。
「確かにな。じゃあ先に食ってるから。ああ、それと」
五三郎は起き上がろうとした幸を胸に引き寄せる、耳許に唇を寄せた。
「後朝の歌を言いそびれるところだった。こんな日くらいは雅な真似をしても構わねぇだろ。尤も本当は百句目の句にするはずだったんだけど」
そんな言い訳をしながら五三郎が後朝の歌を――――――『水引を添えて持ち込む花ごころ撫でては思う床の生け筒』の歌を耳許で囁いた。その瞬間、幸の顔が真っ赤に染まる。
「あ、兄様のすけべ!!そんな歌、おおっぴらに出来ないじゃないですか!何で上の句で終わりにしてくれなかったんですか!」
上の句だけなら愛らしくも初々しい一句である。しかし下の句によって途端に生々しくなってしまったのだ。幸が文句をいうのも無理は無い。だが作った本人は平然としている。
「仕方ねぇだろ。他に思いつかねぇんだからよ。これでも控えめな方だぜ。何ならもっと露骨な方が・・・・・・」
「もう知りません!兄様のバカ!!」
幸は五三郎の腕からぬけ出すと、脱ぎ捨てた寝巻きを羽織り、そそくさと風呂へと立ち去ってしまった。
2015年11月25日
静けさにしずん
山から昇る霧が雲になり雲海になる、そんな光景と静寂を謳っています。
どんなシーンか?っていうと、山に登って見おろす雲の海に山脈が島みたいに浮かんでいるカンジだと思います。
って書くと解かると思いますが、この詩は作者ワーズワースがスノードン山に登った感想を詠んでいるワケです。
で、イメージ写真にスノードン山があれば良いんですけどありません、イギリスは行ったことないので、笑
そんなワケで谷川岳と八ヶ岳~南アルプスのコンナカンジカナっていうものを貼ってあります。
詩に詠まれているのは「Snowdon」スノードン、
ブリテン諸島で4番目に高い山で、イングランドとウェールズの最高峰です。
標高1,085m とあまり高くありませんが、緯度が高いため森林限界など風土気候の条件は日本と違います。
この地方は多湿で年間降水量4,500ミリ→スノードンも霧が多く、岩だらけの山頂は強風と低温でかなり寒いそうです。
スノードンは1953年エベレスト登頂のエドムンド.ヒラリーが登山訓練をした山です。
緯度が高いほど山の難易度は上がります、北緯53度における標高1,085はそれくらい厳しいってことです。
そんなスノードンですが山頂近くまで登山列車もあります、が、危険が低くなるワケではなく遭難事故は起きています。
山は霧を生み雲を吐きます、その姿は遠望していれば雄大で美しいです。
けれど山中で霧や雲に巻かれると視界不良→道迷いで体力消耗・多湿低温による低体温症、滑落事故などが多くなります。
こうした遭難事故はどんなに標高が低い山でも普通に起きます、天候の急転は山ならどこでもあるので気をつけてくださいね、笑
そんな危険性を解かった上でも雲や霧まとう山の姿は、雄渾かつ荘厳な静けさにしずんで惹かれます。
2015年09月24日
お花見に行く約束
桃子が施設に戻ると、桜子は近くの県立病院へ搬送されていた。
急いでメイクを落として着替えをして、急いで桜子の後を追った。
「桜子さん!」
救急処置室に入ると、所長が桜子に付き添っていた。
「伊川さん、呼び戻して申し訳なかったね。ありがとう。逢坂さんは昼食をとるために食堂へいらしたところに倒れたんだよ。状態から見ておそらく脳梗塞だ。今から緊急手術に入るそうだ。」
「脳梗塞…」
桜子が手術を受けている間、桃子は柊に何度か電話をしたが、携帯の電源が入っていないと通知が流れ、自宅は相変わらず誰もいないようだった。
「何かあったのかしら…」
神戸に出かけた時のままの、ジャージには不似合いなバッグにスマホを入れようとすると、切れてしまったブレスレットの事を思い出した。
「これなら直せるわ。」
持っていたヘアピンを使ってチェーンをつないで、ガラスの玉を入れた。
「出来た!よかった…」
―魔よけなのよ―
桜子はそう言っていた。
桃子はそのブレスレットを握りしめて願った。
(どうか、桜子さんを救ってください。桜子さん、頑張って!お花見に行く約束したじゃないですか。柊さんも待ってますよ。)
2015年07月24日
泣き言やぼやきやや
私は最近「愛読書は?」と聞かれて「サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』です」とためらわずに答えてしまうのが自分でも不思議でしようがない。もちろん「ライ麦畑でつかまえて」を読んだときには、そのみずみずしさに、ゆきずりのやさしさに出会った思いがして嬉《うれ》しくてならなかった
。しかし、サルトルやニーチェでも読んでるというのがはばかられ、結局必死でひねくれたあげく「大《だい》菩《ぼ》薩《さつ》峠《とうげ》」を愛読書と決めていた時期には、こんなにあからさまに本音を言いたい放題にした、全篇男の泣き言やぼやきややつ当りの甘ったるい感傷を、まさか口に出して〓“好きだ〓”と人に言うなど考えられなかった。
これは、「ライ麦畑でつかまえて」を好きだと言っても私が何のはじらいも感じなくなったのか、それとも時代がそうなったのだろうか。
長い間私は、自分がやっている演劇などはんぱもののやるものだとのひけめ意識をもっていた。だからどんなに誘われても実家のある福岡で演劇公演をしたこともなければ、出版した本を田舎に送ったこともなかった。父は私の顔を見るたびに、「いつまで水商売やってるんだ」と嘆き、親《しん》戚《せき》の連中からも私は不浄の金で暮すやくざを見るようにそっぽを向かれた。兄の子供たちにおもちゃを買っていくにも、高価なものをやればうさん臭い目で見られ、遠慮して安手のものにすると「派手にやっててこの程度か」とイヤミを言われ続ける。たまにテレビに出てアップに撮られようものならすぐ電話がかかってきて、「隅《すみ》っこにいろ、恥さらしが!」と怒鳴りつけられた。普通こういう親子関係では陰でこっそり母がとりなし、父親が本を読んだり新聞の切抜きをしたりしているのが図式なのだが、私の家の場合は母も嘆き、私のために喫茶店を開く準備をするほどで、なおさらタチが悪かった。考えてみれば、この不肖の息子であるというひけめと「一族から恥かきが出た」という意識が私には芝居をつくるエネルギーになっているのだろう。
最近は、若い女の子からサイン帳出されれば「俺《おれ》は芸術家だ!」と蹴《け》散らしていた日々が嘘のようで、求められればテレることなくすらすらペンを走らせ、「先生」と呼ばれなければ返事もしたくなくなっている。NHKや朝日新聞などともおなじみさんで、ホイホイ仕事引き受けてはこまめにビデオに撮ったり、切抜きにして田舎に送っている。
しかしこちらの気のゆるみはすぐに客にさとられるのか、先日は芝居の最中舞台を突っ切ってトイレに行くアベックまで現われた。小さな劇場で込んでいたためなのだが、他の客も騒ぎもしない。たしかに劇場は説教を聞く場所ではなくデートの場所にしてくれとか、芝居は臨場感だ、舞台と客席の一体化だと言い続けてきたのは私だ。しかし、それにしても最近の客は本当にまっさらで、ドリフターズや漫才を見に来るのと同じに楽しんでは帰って行く。十数年前、私が芝居を始めた頃の観客は、空疎な日常を埋めるために悪場所へと足を運ぶという内的な必然性を持ってきていたように思う。そして、正業を持てないひかれものの〓“業〓”としか言えないエネルギーで、演ずる役者を支え、一緒に育っていこうとの共犯幻想があった。
劇場はもはや悪場所ではなく、河原《かわら》乞《こ》食《じき》もいない。私にしても、〓“不肖の息子〓”としてのエネルギーをかりたててくれた父も今はいない。流行のマル優探しで銀行と郵便局を使い分けようと孤独な日常に流されそうになる今、自分自身に危機感を植えつけ、新しい〓“ひけめ〓”をつくって突き進んでいこうと心を新たにする今日この頃である。
ヒーローの条件
。しかし、サルトルやニーチェでも読んでるというのがはばかられ、結局必死でひねくれたあげく「大《だい》菩《ぼ》薩《さつ》峠《とうげ》」を愛読書と決めていた時期には、こんなにあからさまに本音を言いたい放題にした、全篇男の泣き言やぼやきややつ当りの甘ったるい感傷を、まさか口に出して〓“好きだ〓”と人に言うなど考えられなかった。
これは、「ライ麦畑でつかまえて」を好きだと言っても私が何のはじらいも感じなくなったのか、それとも時代がそうなったのだろうか。
長い間私は、自分がやっている演劇などはんぱもののやるものだとのひけめ意識をもっていた。だからどんなに誘われても実家のある福岡で演劇公演をしたこともなければ、出版した本を田舎に送ったこともなかった。父は私の顔を見るたびに、「いつまで水商売やってるんだ」と嘆き、親《しん》戚《せき》の連中からも私は不浄の金で暮すやくざを見るようにそっぽを向かれた。兄の子供たちにおもちゃを買っていくにも、高価なものをやればうさん臭い目で見られ、遠慮して安手のものにすると「派手にやっててこの程度か」とイヤミを言われ続ける。たまにテレビに出てアップに撮られようものならすぐ電話がかかってきて、「隅《すみ》っこにいろ、恥さらしが!」と怒鳴りつけられた。普通こういう親子関係では陰でこっそり母がとりなし、父親が本を読んだり新聞の切抜きをしたりしているのが図式なのだが、私の家の場合は母も嘆き、私のために喫茶店を開く準備をするほどで、なおさらタチが悪かった。考えてみれば、この不肖の息子であるというひけめと「一族から恥かきが出た」という意識が私には芝居をつくるエネルギーになっているのだろう。
最近は、若い女の子からサイン帳出されれば「俺《おれ》は芸術家だ!」と蹴《け》散らしていた日々が嘘のようで、求められればテレることなくすらすらペンを走らせ、「先生」と呼ばれなければ返事もしたくなくなっている。NHKや朝日新聞などともおなじみさんで、ホイホイ仕事引き受けてはこまめにビデオに撮ったり、切抜きにして田舎に送っている。
しかしこちらの気のゆるみはすぐに客にさとられるのか、先日は芝居の最中舞台を突っ切ってトイレに行くアベックまで現われた。小さな劇場で込んでいたためなのだが、他の客も騒ぎもしない。たしかに劇場は説教を聞く場所ではなくデートの場所にしてくれとか、芝居は臨場感だ、舞台と客席の一体化だと言い続けてきたのは私だ。しかし、それにしても最近の客は本当にまっさらで、ドリフターズや漫才を見に来るのと同じに楽しんでは帰って行く。十数年前、私が芝居を始めた頃の観客は、空疎な日常を埋めるために悪場所へと足を運ぶという内的な必然性を持ってきていたように思う。そして、正業を持てないひかれものの〓“業〓”としか言えないエネルギーで、演ずる役者を支え、一緒に育っていこうとの共犯幻想があった。
劇場はもはや悪場所ではなく、河原《かわら》乞《こ》食《じき》もいない。私にしても、〓“不肖の息子〓”としてのエネルギーをかりたててくれた父も今はいない。流行のマル優探しで銀行と郵便局を使い分けようと孤独な日常に流されそうになる今、自分自身に危機感を植えつけ、新しい〓“ひけめ〓”をつくって突き進んでいこうと心を新たにする今日この頃である。
ヒーローの条件
2015年06月17日
訴えたいと思
「孤独であることは、友人を持つことのスパイスになる。孤独であればあるほど、友人のありがたみがわかり、自分の弱さに気付くものだ」
今回の名言の方が良いと思う。前回のは、てきとーに、無理矢理作り上げたから。
今回のは、自分の体験をもとに作っているので、真実味があるから。
どうでしょう?
ここで、名言の作り方を紹介します。
はじまりはじまり~
1,読み手に何を伝えたいのか目的を考える。そして、そのためにどんな名言がいいか考える。
2,その名言の構成要素を出す。
3,自分の感性や自分の体験から、気付いたことを書く。というか、訴えたいものを出す。
4,眼を閉じて、自分の過去の体験や、訴えたいと思った出来事を、頭に浮かべて、意識にのぼってくるものをひろう。
4,2と3と4を組み合わせる。
※その名言を言う状態、舞台、状況なども書くこと。名言に奥行きがでる
今日はここまで!